さて、引き続きうちのおばあちゃんだけど、なんと、意識が戻ったという連絡が!相変わらず、全ての臓器の数値は悪いんだけど、目を覚まし、しゃべってる!

医者も驚く生命力であった。。。


ところで、今日仕事中に次女のジャイ子から電話があった。(この人、しょっちゅうスクールからとかYouth Centerからとか電話してきて、どーでもいいことを報告してくる・・・)

ジャイ子が、プレイグラウンドでジャケットを脱いで遊んでいて、さて帰ろうか・と思ったら、ジャケットがない!!

周りを見渡してもどこにもない!

Lost & Foundに届けられてるかと思ってチェックしに行ってもない!!

と言うことで、「マミィ、ジャケット失くした。」だと。

その代わり、以前に失くしたと思っていたピンクのジャージがLost & Foundにあったらしい・・・

1つ失くして、1つ得る・・・・

11月末に、私達の荷物は、最低限必要な身の回りのもの以外はPack Outしてしまっているので、もちろん、ジャイ子のジャケットだって、その1つだけしかとってなかった。

まだまだ寒いこの季節。いくらなんでも、ジャケットなしじゃぁ風邪も引くっつうことで、夫とジャイ子でN○Xまでジャケットを見に行ったわけ。

もう冬物ジャケットなんて、残り物しかなくて、しかも25%OFFのところにちょこっとあるだけ。本当、ろくなのがなかった。

で、その中で、これなら暖かいし、ジャイ子のサイズで、デザインもまぁまぁだなぁってのがあったんだけど、その値段があんた、25%OFFになってて$52ってどーゆーことさ?

$52だよ?!

どーせ、ここにいるあと数週間しか着ないのに、そしてまたジャケットを着る時がきたとしても、その時は絶対小さくなってて着れやしない運命なのに、$52って?!?!

夫は「でも、これしかないんだし、他のは薄手だしさ。いいよ、買おーよ・・・」だと。

このわたくしでさえ、Old Na○yの安いダウンジャケットだっていうのに、ジャイ子のくせに$52?(しつこい?)

トレーナーとか3枚ぐらい着込めばいいじゃんっていう私の意見は夫により却下された。。。

納得がいかんのだよ。。。。


で、まぁ、なんとかいいつつも買ったわけだけど、家までの車の中でふと、

「あぁっ!!ユニ○ロとかに行けば良かったんじゃないのぉ?きっと安いのあったよぉ!」ということに気づいた。

でも、その時点でもう6時過ぎてたし、明日の朝にジャケットは必要なわけだし、夫から「いいよ、もう、これで・・・」という“取引終了”を宣告され、不完全燃焼のまま家に帰ったのであった。。。

月曜日にでも、Lost & Foundにジャイ子のジャケットがあったら、この「数回着用済み」の$52のジャケットは返品できるのだろうか・・・?


おばあちゃんは結局、少し持ち直して、今日明日にどーのこーの、という状態からは脱出した。

でも今以って昏睡状態は変わらない。。。


おばあちゃんと言えば・・・

私の子供達にとってのおばあちゃんとは、私の母であり、夫の母である。

我が家はもちろん核家族で、共働きである我が家では、スクールが終わると、長女は一人でお留守番。そして次女はYouth Centerで私が迎えに行くまで過ごすのだ。


私の母も働いていた。

私が学校から帰ると、働いてる母に代わって、おばあちゃんが「お帰りなさい」と言ってくれた。いつもおばあちゃんがいてくれた。

鍵っ子に憧れていたハナ垂れ小僧の私は、たまにおばあちゃんがいないと、ちょっとドキドキしながら、家の鍵が隠してある物置をあけ、隠し場所から鍵を取り、家の鍵を開けた。

少し大人気分になったりした。


私の母にはすぐ会いに行ける。車で10分ぐらいだしね。
夫の母に会いに行くには、飛行機に乗ってアメリカ本土までいかなくてはならない・・・


私の母の家には、私の姉夫婦が一緒に住んでいて、娘が2人いる。夫の母の家には、夫の姉が娘と居候(?)している。


はっきり言ってうらやましいと思う。


父や母に叱られた時、姉と喧嘩した時、友達と喧嘩した時、私にはいつもおばあちゃんがいた。

私にとって、おばあちゃんとは「逃げ道」だったような気がする。

「必ず味方でいてくれる人」という自信。「私のことは必ず許してくれる」という確信みたいなもの。


来月私達は、トロピカルな場所へと出発する。

これで、夫の母はもちろん、私の母にも、飛行機に乗らないと会えなくなる暮らしがまた始まる。

私にいつも「おばあちゃん」という強い存在があったように、私の子供達にも、そんな心の拠りどころがあったらいいのになって思う。

絶対的な「逃げ道」がいつも側にあるという安心。

ダディとマミィに叱られても、私にはおばあちゃんがいるもんね!という逃げ道。

上手く言えないけど、私が幸せにも両親からの愛情プラス「おばあちゃんの愛」を浴びて育ったと同じように、私の子供達にも側で感じる「おばあちゃんの愛」と一緒に育つことができたら幸せなのになぁって思う。。。


仕事中にかかってきた姉からの電話。

「おばあちゃんが危篤で危ない」



私は子供の時から本当におばあちゃんっ子だった。

おばあちゃんは優しくて、何でも言うこと聞いてくれて、母に怒られたときは慰めてくれるし、私の半端じゃないワガママを、文句を言いながらも聞き入れてくれた。

夫の乗っていた船が半年以上出港してしまうので、アメリカから生後8ヶ月の長女を連れて里帰りした時。

おばあちゃんにとっては初ひ孫である長女のことを、それはそれは可愛がってくれた。

長女をおんぶし、近所を散歩したり、習っていた「踊り」の練習に連れて行ったりしてくれた。


おばあちゃんにとって私は、決して「可愛い孫」だったわけではないはずだ。

思春期の頃は、おばあちゃんに対しても半端じゃなく反抗的な態度を何度も何度もくり返し取った。

長女が生まれた後だって、年と共にボケてきたおばあちゃんに対し、なんとも言えない苛立ちを覚え、強い口調で接した。

おばあちゃんが入院してからは、数えるほどしかお見舞いに行ってない。

これで「おばあちゃんっ子」だなんて笑っちゃうけど、でも子供の頃は、本当におばあちゃんにべったりの子だった。


今日、連絡を受けて病院にかけつけた。

とても小さくなったおばあちゃん。

声をかけても反応してくれない。酸素マスクをして、苦しそうに息をしていた。

見ているだけで辛かった・・・

手を握って、おばあちゃんに声をかける。

「おばあちゃん!!聞こえてたら手をギュッと握ってみて!」

私の声は届かなかったのか、届いていたけど力がなかったのか、私の手を握り返してはこなかった。

母と一緒にドクターの話を聞いた。

もしかしたら今夜にでも、ドクターの経験から考えても2~3日中には・・・・ という話だった。


今私は家にいる。

ずっとおばあちゃんのことを考えている。

寒い夜、おばあちゃんの布団に忍びこび、冷えた足と手をおばあちゃんのモモの間にはさんで寝たたくさんの夜。

泳ぎの練習がしたくて、夕方おばあちゃんに頼み込み、近所のプールに一緒に行ってもらった夏。

歯医者の予約のため、学校に迎えに来てくれたおばあちゃんを、教室の窓から確認し、手を振った日。

思春期で、自分勝手な私に対して怒るおばあちゃんを、ひどい言葉で罵る愚かな自分。

私の結婚披露パーティにちょこんと座って嬉しそうな顔をしているおばあちゃん。

8ヶ月の長女を連れて日本に里帰りした時、長女をおんぶするために、ゆかたの帯を取り出すおばあちゃん。



私はおばあちゃんのために何をしただろう・・・・?

おばあちゃんがボケだしてからは、邪険に扱ってばっかりいた。

ここでは書けないようなひどいことを言葉を浴びせたことは何回もある。

おばあちゃんにワガママを言い、心配と迷惑をかけてばかりだった気がする。


大正・昭和を生き抜き、そして平成を生きているおばあちゃん。

おばあちゃんの人生を、おばあちゃんは「幸せだった」と思ってくれてるだろうか・・・

私の声がどうか届いていますように・・・・






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