とうとう来ました、トロピカルアイランド!!
現在の時間は2月17日夜10時半近く。
最後の日記から怒涛の6日間。今振り返ると、あの6日間って1日24時間なかったんじゃないか、という気になる。
たぶんわたし的には、1日6時間ぐらいの感覚。
本当に「あっ!!!!」という間に過ぎてしまった。
金曜、最後の仕事の日。職場の皆がお別れにと、とても温かい贈り物をくれた。まさか皆がああいう風にしてくれるなんて思ってなかったし、逆に普通に「じゃ、お疲れ~!」と普段と変わりなく終わりにしたかったんだけど、ああいう風に改まってされると、やっぱり涙・涙になってしまう。
私よりも、Peaceの方が号泣で「誰が辞めるんだ?お前か?」とからかわれていた程。
それを見て、私もPeaceが愛おしいやら悲しいやらで、号泣。
仕事が終わった後、職場の外の、いつもPeaceとしゃべくるスポットで、名残惜しくて中々お別れができず、でも最後はとうとうハグして、声を出して泣いてしまった。
その日の夜は、何かにつけPeaceとの思い出がCome Backしてきて、寝るまでポロポロと涙が溢れてきた。
土曜、出発の日。泊まっていたホテルに姉と姉の子供達が来た。普通にランチを食べ、普通に話をしていたんだけど、お迎えのバンが到着して、もう乗り込むという時に、姉と抱き合って号泣。姉と私は本当に昔から仲が良かったから、バンに乗り込んでベースを出た後も、遠くなる景色を眺めながら、色々なことが蘇ってきて、バンの運転手もビックリの号泣そして嗚咽が止まらなかった。
そして、成田の空港では、母と合流。母とも、普通に食事したり、成田の中のショップを見たりしていたんだけど、ゲートで最後のお別れの時になって、やっぱりお互いに抱きしめ合い、成田の空港で、通りがかりの人もギョッとする程の号泣をかました。
ここでは、長女もジャイ子も、そしてB吉も母とハグをして大泣きだった。ジャイ子にいたっては、私に負けず劣らずの号泣ぶり。
母が見えなくなるまで手を振りながら、出国手続きゲートを歩く私は、歩きながら嗚咽をかましていた。
本当に2日間にかけて、号泣しっぱなしで、この6年半を振り返り、後悔することもたくさんだし、楽しかったことをくり返し思い出しては涙が止まらなかった。
そして、私達の乗り込んだ飛行機が、私の生まれ育った国を飛び立った。
常夏までの飛行時間はたかが6時間半とたかをくくっていたが、私が今まで30数年間生きてきた中で、至上最悪のフライトだった。
6時間半のフライトの中で、4時間ぐらいは、ジェットコースターのように揺れまくり、というか、誰かが外から私達の乗った飛行機を両手で持って、シャカシャカシェイクしているようというか、とにかく尋常じゃない揺れに、吐く人続出で、恐らく皆あまりの恐怖だったのか、シーンとなる機内。私も吐く寸前で、「死」を意識した4時間だった。
フライトアテンダントも、機長からの支持で「決して席を立つな」と言われ、席の前にある小さいテーブルに置いてある飲み物もこぼれるぐらい。とにかく、本当に記録に残る最悪のフライトだった。
ジャイ子も吐く寸前。私もこの4時間は、ずっとずっと神に祈っていた。もうダメだと思った。マジで恐怖で足が震えていた。
そんなフライトだったが無事に常夏に到着。神に感謝。
朝の7時過ぎの到着だった。何の問題もなく入国ゲートを通り、7個もあるスーツケースも無事に引き取り、空港を出ると、ワイドショーで散々見たことのある景色。
あぁ、皆ここでマイクを持ちながら、芸能人を待ってるのねぇ、と関心していると、発見!!!!
さっそく、芸能人を発見!!!
それは、ショーツを履き、アロハシャツを着、サングラスをかけている、まぎれもない「内田裕也」なのだった。
あの落ち武者のような金髪ロングヘアー。そして、何故かレイを持ち、もう片方の手には、杖。
常夏に到着して早々、目が釘付けになる私なのだった。
彼は誰かを待っている。だって、レイを持って、ずっと到着ゲートを見ているのだから。
誰?誰を待ってるの?
恐らく、そんな目立つ彼にも関わらず、おとな~しくレイを片手にな30分は待っていたのではないだろうか?
すると!!!普通のジーンズにTシャツの30代ぐらい?の女性がスーツケースを押しながら小走りに彼に向かってきた。
彼も「ほっ」とした表情になり(っつうか、サングラスで表情分からないけど)その女性にレイをかけ、2人でWalked Away。
一体誰だったのだろう・・・?
そうこうしているうちに、私達にもお迎えのバンが到着し、空港を離れる。
常夏初上陸の感想は・・・・
「ぬるい!」
思っていたよりも暑くはないが、なんか風も生暖かく、しかも強風。
9時前には私達がしばらく滞在予定のホテルに到着するも、チェックインは午後3時。
しかたがないので、タクシーでNEXに行ったり、そこからレンタカーに行ったりして、正午近くにはやっとレンタカーをゲット。
ランチを食べたりして、またホテルに戻るとまだ1時前。結局全員でロビーで爆睡をかまし、3時近くにようやくチェックインできた。
部屋に入って、私と子供達はそのままベッドでバタンキュー。
夕方6時過ぎに目覚め、まだ寝ている子供達に置手紙を残して、B吉と食料などの買い物へ。
8時過ぎに部屋に戻ると、まだ寝ているジャイ子に、シャワーを浴びている長女。
夜なのに、完全に時差ぼけの私達。今は夜の10時半を過ぎてるが、まだまだギンギンに目が覚めている子供達。
ハイウェイを走っていても、今いち常夏という気がしない。
そこら中にあるパームツリーを見ても、カリフォルニアだってそんな感じだし、まだパッとこない。
まぁ、まだ観光客で賑わう有名な場所にも行ってないからだろう。
そんなこんなで、常夏初日の報告は以上。。。
日本でお世話になった皆さん。今もまだ、あなた達と離れている、という実感がないのだけれど、でも、それでもやっぱり、しばらくは会えないのかぁと思うと心から悲しいです。皆が私を支えてくれて、元気をくれて、応援してくれて、信じてくれて、本当に感謝してます。あなた達がいてくれてからこそ、私のこの3年半が楽しいものになり、思い出いっぱいになったのだから。
いつでもあなた達のことを思っています。考えて懐かしんでいます。今はまだ感傷にひたって、涙腺も弱く、沈みモードだけれど、またそのうち元気になって、ここ常夏での生活を楽しむでしょう(?)。その暮らしぶりを、あなた達に報告すべく、このブログも頑張ります!!!!
現在の時間は2月17日夜10時半近く。
最後の日記から怒涛の6日間。今振り返ると、あの6日間って1日24時間なかったんじゃないか、という気になる。
たぶんわたし的には、1日6時間ぐらいの感覚。
本当に「あっ!!!!」という間に過ぎてしまった。
金曜、最後の仕事の日。職場の皆がお別れにと、とても温かい贈り物をくれた。まさか皆がああいう風にしてくれるなんて思ってなかったし、逆に普通に「じゃ、お疲れ~!」と普段と変わりなく終わりにしたかったんだけど、ああいう風に改まってされると、やっぱり涙・涙になってしまう。
私よりも、Peaceの方が号泣で「誰が辞めるんだ?お前か?」とからかわれていた程。
それを見て、私もPeaceが愛おしいやら悲しいやらで、号泣。
仕事が終わった後、職場の外の、いつもPeaceとしゃべくるスポットで、名残惜しくて中々お別れができず、でも最後はとうとうハグして、声を出して泣いてしまった。
その日の夜は、何かにつけPeaceとの思い出がCome Backしてきて、寝るまでポロポロと涙が溢れてきた。
土曜、出発の日。泊まっていたホテルに姉と姉の子供達が来た。普通にランチを食べ、普通に話をしていたんだけど、お迎えのバンが到着して、もう乗り込むという時に、姉と抱き合って号泣。姉と私は本当に昔から仲が良かったから、バンに乗り込んでベースを出た後も、遠くなる景色を眺めながら、色々なことが蘇ってきて、バンの運転手もビックリの号泣そして嗚咽が止まらなかった。
そして、成田の空港では、母と合流。母とも、普通に食事したり、成田の中のショップを見たりしていたんだけど、ゲートで最後のお別れの時になって、やっぱりお互いに抱きしめ合い、成田の空港で、通りがかりの人もギョッとする程の号泣をかました。
ここでは、長女もジャイ子も、そしてB吉も母とハグをして大泣きだった。ジャイ子にいたっては、私に負けず劣らずの号泣ぶり。
母が見えなくなるまで手を振りながら、出国手続きゲートを歩く私は、歩きながら嗚咽をかましていた。
本当に2日間にかけて、号泣しっぱなしで、この6年半を振り返り、後悔することもたくさんだし、楽しかったことをくり返し思い出しては涙が止まらなかった。
そして、私達の乗り込んだ飛行機が、私の生まれ育った国を飛び立った。
常夏までの飛行時間はたかが6時間半とたかをくくっていたが、私が今まで30数年間生きてきた中で、至上最悪のフライトだった。
6時間半のフライトの中で、4時間ぐらいは、ジェットコースターのように揺れまくり、というか、誰かが外から私達の乗った飛行機を両手で持って、シャカシャカシェイクしているようというか、とにかく尋常じゃない揺れに、吐く人続出で、恐らく皆あまりの恐怖だったのか、シーンとなる機内。私も吐く寸前で、「死」を意識した4時間だった。
フライトアテンダントも、機長からの支持で「決して席を立つな」と言われ、席の前にある小さいテーブルに置いてある飲み物もこぼれるぐらい。とにかく、本当に記録に残る最悪のフライトだった。
ジャイ子も吐く寸前。私もこの4時間は、ずっとずっと神に祈っていた。もうダメだと思った。マジで恐怖で足が震えていた。
そんなフライトだったが無事に常夏に到着。神に感謝。
朝の7時過ぎの到着だった。何の問題もなく入国ゲートを通り、7個もあるスーツケースも無事に引き取り、空港を出ると、ワイドショーで散々見たことのある景色。
あぁ、皆ここでマイクを持ちながら、芸能人を待ってるのねぇ、と関心していると、発見!!!!
さっそく、芸能人を発見!!!
それは、ショーツを履き、アロハシャツを着、サングラスをかけている、まぎれもない「内田裕也」なのだった。
あの落ち武者のような金髪ロングヘアー。そして、何故かレイを持ち、もう片方の手には、杖。
常夏に到着して早々、目が釘付けになる私なのだった。
彼は誰かを待っている。だって、レイを持って、ずっと到着ゲートを見ているのだから。
誰?誰を待ってるの?
恐らく、そんな目立つ彼にも関わらず、おとな~しくレイを片手にな30分は待っていたのではないだろうか?
すると!!!普通のジーンズにTシャツの30代ぐらい?の女性がスーツケースを押しながら小走りに彼に向かってきた。
彼も「ほっ」とした表情になり(っつうか、サングラスで表情分からないけど)その女性にレイをかけ、2人でWalked Away。
一体誰だったのだろう・・・?
そうこうしているうちに、私達にもお迎えのバンが到着し、空港を離れる。
常夏初上陸の感想は・・・・
「ぬるい!」
思っていたよりも暑くはないが、なんか風も生暖かく、しかも強風。
9時前には私達がしばらく滞在予定のホテルに到着するも、チェックインは午後3時。
しかたがないので、タクシーでNEXに行ったり、そこからレンタカーに行ったりして、正午近くにはやっとレンタカーをゲット。
ランチを食べたりして、またホテルに戻るとまだ1時前。結局全員でロビーで爆睡をかまし、3時近くにようやくチェックインできた。
部屋に入って、私と子供達はそのままベッドでバタンキュー。
夕方6時過ぎに目覚め、まだ寝ている子供達に置手紙を残して、B吉と食料などの買い物へ。
8時過ぎに部屋に戻ると、まだ寝ているジャイ子に、シャワーを浴びている長女。
夜なのに、完全に時差ぼけの私達。今は夜の10時半を過ぎてるが、まだまだギンギンに目が覚めている子供達。
ハイウェイを走っていても、今いち常夏という気がしない。
そこら中にあるパームツリーを見ても、カリフォルニアだってそんな感じだし、まだパッとこない。
まぁ、まだ観光客で賑わう有名な場所にも行ってないからだろう。
そんなこんなで、常夏初日の報告は以上。。。
日本でお世話になった皆さん。今もまだ、あなた達と離れている、という実感がないのだけれど、でも、それでもやっぱり、しばらくは会えないのかぁと思うと心から悲しいです。皆が私を支えてくれて、元気をくれて、応援してくれて、信じてくれて、本当に感謝してます。あなた達がいてくれてからこそ、私のこの3年半が楽しいものになり、思い出いっぱいになったのだから。
いつでもあなた達のことを思っています。考えて懐かしんでいます。今はまだ感傷にひたって、涙腺も弱く、沈みモードだけれど、またそのうち元気になって、ここ常夏での生活を楽しむでしょう(?)。その暮らしぶりを、あなた達に報告すべく、このブログも頑張ります!!!!
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